当時24歳、社会人2年目の夏でした。お盆休みで10連休をもらったのですが、当時の私はお金が入ればすぐに散財していて、生活するのがやっとでした。
周りの友人たちも呆れていてお金など貸してくれません。然し、10日も休みがあるのにどこにも行かないなんてことはできない、家でゆっくりなんてできない性格でした。
やったことはただ1つ。アイフルという消費者金融にお金を借りに行きました。借りれたのは2万円程度だったと思います。次に兎に角できるだけ遠くに旅に出ようと思いました。
然し、この所持金では飛行機に乗れず、国内で行ったことのないところに行くことにしました。山口育ちで東京より北に行ったことがなかった私は東北に行くことにしました。
何といってもお金がないので、移動手段は青春18きっぷと趣味のスケートボードのみ。青春18きっぷで大事な1万円を使ってしまいました。
どこかに泊まるお金もないので基本は野宿、寝袋はありました。今となっては無謀としか言いようがないですが、これで東京から青森まで行って帰ってきました。
そして、お金では買えない価値に溢れていることに気づきました。
今回はそんな思い出深いエピソードをシェアしたいと思います。
秋田からヒッチハイク
十和田湖は青森・秋田の両県にまたがる代表的な景勝地で、絵に書いたように奇麗な自然です。そんな景色とは裏腹に、たどり着くまでは地獄でした。
最寄りの駅から奥入瀬渓流まで十数キロ、スケートボードをこぎ続けましたが、そこから十和田湖までは14キロもあります。渓流の滝をあびてリフレッシュしたものの、そのとき既にくたばりかけていました。
あまり車も通らないような山道でスケボーにも上手く乗れません。そこにたまたま軽トラが通りかかりました。と思った瞬間、私の数十メートル先で止まり、乗ってくか?と地元のおじさんが声をかけてくれたのです。
相当苦しそうな旅人だとでも思われたのかもしれませんが、兎に角感謝しかない状態でした。短い間ながらも、楽しく会話したことを覚えています。
青森の校長先生
十和田湖をエンジョイしたあとに青森の市街地までたどり着きました。青函連絡船の八甲田丸を見た以外、おいしいものを食べられるお金もなく観光の思い出はありません。
外が暗くなり泊まる公園を探していたところでした。夜道を歩いていたおばさんが声をかけてくれました、あんた旅人かい?と。
「はい」と答えたところ、じゃあうちに泊まりに来いということになりました。どちらも危機感がなさすぎて信じられませんが良くも悪くも実話です。
更に驚いたのは、辿り着いたのは地元の校長先生のお宅でしかもかなりの豪邸だったことです。ゴールデンレトリバーと地元の先生たちが校長先生のお宅で宴会をしていたところに訳の分からない旅人が加わる、という奇妙な光景でした。
訛りがひどすぎて何を言っているのか殆どわかりませんが、みんな兎に角フレンドリー、地元の酒や魚をたらふくご馳走になり、そのあと地元のスナックで梯子、歌いに歌いました。
めんこい→かわいい、という方言だけが脳裏に焼き付いていたので相当連呼したのでしょう。本当に楽しかったです。
翌朝、名残惜しそうにお母さんがおいしいお弁当を用意してくれていました。あたたかで幸せな気持ちになりました。
岩手の公園で野宿
あたたかな青森の夜の余韻に浸り、帰路につきます。今となっては「あまちゃん」で有名な三陸鉄道リアス線にゆられ、あれが歴史ある釜石製鉄所かぁ、と日本の成長の歴史を感じつつ陸前高田にたどり着きます。
限られた残りの資金で地元のスーパー銭湯に行くが一晩過ごすことができず、公園を探しました。夏場だけに蚊が気になりつつも、夜空と空気の奇麗な静かな公園で良く寝ることができました。
朝起きて公園の水道で顔を洗っていた時でした。公園の近くの住人が声をかけてくれたのです。
旅人かい?という会話を少し交わしたあと、暫くして熱々のみそ汁付きで大量のおにぎりを持ってきてくれたのです。お腹が減っているときに空気が奇麗なところで食べるご飯に勝るものはありません。
本当においしそうに食べたんだと思います。更に、お昼用のおにぎりも頂きました。
さいごに
37歳妻子持ちとなった今では流石に同じことはできませんね。また、FIREした今だからこそ懐かしいとも言えます。
人生も旅のように何が起こるかわかりませんが、どうしようも無くなった時に見放されないよう、大切なことを忘れずに生きたいです。