私は2017年11月から3年8ヶ月、鉄鋼メーカーのインド事業会社で営業副部長を勤めさせて頂きました。商社からの出向者は私一人のみで、他の日本人はメーカーの超ベテラン社員の方々でした。
着任当初は海外駐在や出向、管理職など、全てが初めての経験で空回りばかりだったことを思い出します。過去には精神疾患を抱えてしまう商社パーソンもいた程です。
この記事では、そんなハードシップの高い環境を乗り越えてきた結果として学んだことを3つに纏めたいと思います。
責任を持つ
インド駐在するまでの自分は仕事に対するプライドはなく、上司に言われたことをやるだけのYESマンでした。なぜ自分が駐在員に選ばれたのかもわかりません。一つ言えるとすれば、どんな環境であっても耐えられる忍耐だけは鍛えられてきました。
インドに来てからも、暫くはYESマンとして仕事を覚えることで精一杯でした。
然し私が着任して半年後、超優秀な上司が日本に帰国することになりました。今後は営業副部長である私にこの会社の未来がかかっている、そんなコメントを頂いたのを覚えています。今まで、誰にも言われたことのない言葉だったのですが、その時自分の中で何かが変わり始めました。
夢だった海外駐在、ここで結果が残せなかったら自分の会社員人生は終わり、ただ努力するだけではダメ、ということもわかっていました。
そして自分には会社を成長させること責任がある。そんな焦りからあらゆることを自分で考えるようになりました。もっと利益を出すにはどうすれば良いか、新規顧客を獲得するには、部下のパフォーマンスを上げるには、と自問自答する日々が続きました。
今までチームの駒でしかなかった自分に重大な責任を与えて頂いたこと、逃げられない環境に追い込まれたことで、困難に挑戦しなくてはならない機会を得ることができました。
重要なことを見極める
センターピンを掴め、イシューから始めよ、パーパスは何だ、と格好いい言葉が使われますが、概ね同じ意味で使われていると思います。実際、これができない限りいつまで経っても仕事は減りません。
逆に、これができると最低限の仕事は午前中に終わるので、余裕を持ってマーケティングをやって営業戦略を考えたり、部下への細かな指導ができたりします。
更に、定時で帰れて家族ともゆっくり過ごせます。作業時間が比較的長いスタッフは効果が限定的かもしれませんが、管理職は本来作業する必要がありませんので効果絶大です。
インドに来たばかりの頃は仕事を覚える意味もあり、見積もり作成や客先訪問の資料など、全て自分で作っていました。そして、慣れてきてからもスタッフに頼んでも難しいだろうと思い暫くは自分でやっていました。
新婚でもあった私は早く帰りたかったし、MBAに行くために勉強もしたかったので葛藤が続いていました。
そんな憤りが数ヶ月続いた結果、私は自分で作業するのをキッパリ辞めました。結果、半年経ってもスタッフが動かないことも良くありました。然し、毎日30分は必ずミーティングを持ち、フォローし続け待ちました。
勿論、待ちすぎて損失を被るようなケースは自ら動かざるを得ませんが、自分が動いてしまったらスタッフは何の責任も感じないでしょう。こんなに時間があっても何もできていない、スタッフ自らが憤りを感じることで、亀の歩みながらも少しずつ自立を促します。
そこで重要なのが、指示する側がセンターピンを掴んでいるかどうかです。つまり、なぜその仕事をやらなくてはいけないか、ロジカルに説明できないとインド人スタッフは絶対動きません。目的を明確に伝え、いつまでに何をどうやるのかを具体的に説明します。これがグローバルスタンダードです。
日本では、目的も理解せず意味のない仕事をやらせる管理職が多すぎると感じます。日本人は素直なので、やれと言われればやりますが、インド人は絶対やりません。秘書でもないのにお茶汲みやコピー取りをやるのは日本人くらいです。
インド人が動かないのはインド人のせいではなく、指示が悪い自分のせいだと気づけるかどうかが、一流の管理職かどうかを左右すると思います。
本来インド人はとても人情深く、これほど家族や友達を大切にする人種はいないと感じる程です。仕事の目的を理解して貰えば、ものすごいスピードで解決してくれます。
交渉
私は新規拡販リーダーの側面もあり、重要な交渉の現場には自ら立ち合いました。タタやマヒンドラ&マヒンドラといった財閥であれば、日本人にも馴染みがあるかもしれません。
顧客はそのようなインドを代表する自動車メーカー、二輪車メーカーの超エリート、一筋縄ではいきません。交渉に負ければ利益が減るどころか、億単位の損失を出す可能性もあります。私は特別交渉が得意という自覚はないながらも、日本では10年以上営業一筋で顧客と良好な関係が築けるようにはなっていました。
然し、インドに来て日本との大きな違いを感じたのはその交渉スタイルです。当然、交渉は金銭が絡むので日本でもインドでもシリアスにならざるを得ませんが、インドの交渉は超理不尽です。嘘でも何でも適当な理屈を次から次に持ってきます。
よって、その情報が真実なのか、交渉のロジックが正しいのかを見極める力が日本の比にならないレベルで求められます。例えば、「お前の競合は3割安い、品質もサービスも問題ない、値下げしなければ調達を打ち切る」「在庫が残ったのはうちの責任じゃない、発注した覚えもない」といったことが頻繁に起こります。
交渉に勝つにはいくつかポイントがありますが、最低限必要なのは、情報量で相手に負けないこと、過去の履歴をしっかりと取っていることです。孫氏の兵法ではないですが、交渉は始まる前に決着がついています。インターネットが普及したとはいえ、価格などの超重要情報はオンラインでは得られません。
商社やメーカーのグローバルネットワークに加え、お金を払ってでも業界に特化したシンクタンクなどの情報を事前に仕入れておきます。過去の履歴については、残していなければ論外ですが、普段から電話でのやりとりを避け、必ずメールを残し、会議も必ずその場合で議事録(MOM)を取り、出席者全員のサインを貰う、といった習慣が大前提です。
また、契約書や覚書も具体的なケースを想定し、どのようなリスクがあるか、実務に従って都度修正できているか、といった管理が必要になります。
日本のように、忘れた頃に言った言ってないと議論になり、まぁいいや、みたいな交渉はあり得ません。インドでは証拠を残していない時点で適当な主張をされて終了です。特に、最終メーカーになるほど発言権が強いのが業界の特徴であり、Tier2である我々が準備不足で勝てることはありません。
証拠があったとしても、訳のわからないロジックを自信たっぷりに振りかざしてきますので、私も絶対負けない準備をして望みます。勝てない交渉は行く意味がないのでやりません。実際、顧客に怒鳴り散らかして取引を失いかけたこともありましたし、チェンナイなど遠方に出張したときは交渉が白熱して何度もフライトを逃しました。
色々とやりすぎた点は反省していますが、顧客との最後の挨拶の時に「本気で仕事している、ってことだよ」、と言って頂いた時は報われましたし、今となってはよほど交渉事で負ける気がしません。
さいごに
私の人生史上、最も濃い3年8ヶ月を過ごすことができ、駐在に出して頂いた当時の本部長、及び日本を代表する鉄鋼マンの方々には感謝しきれない思いで一杯です。
ダメダメで自信のなかった自分がどこに行ってもやっていける、と思えるようになるまで決して楽ではありませんでしたが、日本で厳しくご指導頂いた先輩方のお陰もあり乗り越えることができたのだと思います。
環境が人を変えるというのは確かなものだと、この記事を読んで頂いた方々の参考になれば幸いです。